No.1021 ウマの蹄叉

JRA 総研(日競研)


[動物]馬,サラブレッド,雄,3 歳(競走馬).
[臨床事項]初診,左後蹄の蹄叉にイチゴ大の潰瘍と肉芽形成を認め,その後,異臭を放つカスタードクリーム状の白色軟性な角質の増生が進行した.抗生剤,収斂剤,消毒剤の病変部への塗布は全く効果がなく,8 ヵ月後(図 1)に全身麻酔下にて病変部を全摘出した.
[肉眼所見]蹄叉の前額断面では,全体に白色充実性で,乳頭状の真皮組織が放射状に展開し,表皮組織も真皮に相対するように不完全な乳頭構造を形成していた(図 2).
[組織所見]両染性で未角化な表皮細胞および染色抵抗性で明るい膨化した多角形から不整形の不全角化細胞の増生であった(図 3).不全角化細胞の一部は空胞化し,空胞内や近隣の角化細胞間に好中球を主体とした単核細胞が浸潤していた(図 4).一方,真皮にも形質細胞やリンパ球を主体とした単核細胞浸潤が認められた.ワルチンスターリー染色では,黒染した多数の螺旋菌が主に不全角化細胞域に一致して増殖していた(図 5).抗 Treponema pallidum ポリクローナル抗体による免疫染色では,この螺旋菌存在部位と一致して短桿状から螺旋状の陽性所見が得られた(図 6).また,表皮内浸潤した好中球は同抗体に陽性を示した.TEM 所見では,Treponema 属の超微形態学的特徴と合致する,太さ約 100〜200 nm,2〜8 本の軸糸をもつ電子密度の高い螺旋菌が角質細胞間および細胞内に確認された(図 7).さらに,Treponema 属特異的な 16S rRNA 遺伝子をターゲットとしたタッチダウン PCR では,蹄底および蹄叉の病変から,陽性対照である牛趾皮膚炎由来 Treponema-16S rRNA 遺伝子と同サイズ(約 200 bp)に陽性シグナルが得られた.
[診断]トレポネーマ属の感染が認められた馬の慢性増殖性蹄皮炎(いわゆる蹄癌)
[考察]慢性化を辿り,蹄角質の軟化,蹄表皮組織の乳頭状増殖,真皮炎が認められた本症の疾患名は蹄癌である.蹄癌は,近年,その臨床経過と病変が牛趾皮膚炎と酷似していること,病変部に複数種の Treponema 属が感染していること,それらの数種は牛と馬の双方の病変で分子生物学的に同種であることから発生機序を共有していると推察されている.一方,本症の病理組織学的診断名は,極めて古くは悪性蹄叉腐爛顆粒性慢性生角膜炎が,近年では増殖性蹄底・蹄叉炎が報告されている.しかし,部位を特定した診断名では,発生場所が蹄底や蹄叉だけではない本症の普遍的な診断名にならない.そこで今回,蹄に造詣の深い装蹄学でもっぱら用いられている蹄皮炎を診断名とした.蹄皮とは,蹄角質から蹄真皮までを総じて指す用語であり,英語の pododerm に非常に近い意味をもつ.(桑野睦敏)
[参考文献]
1)Nagamine, C. M. et.al., 2005 J. Vet. Diagn. Invest. 17: 269-271.
2)Moe, K. K. et.al., 2010 J. Vet. Med, Sci. 72: 235-239.